働きたくないについて

社会人として働き始めると、
「働きたくない」という感覚をつかむことができる。

学校に行き始めると
「学校に行きたくない」と思うのとほぼ同義である。

こうも働きたくないと、
働いている人の中にも、働きたくない人は沢山いるんだろうなということが分かる。

小学校〜大学までなんとなく授業を受けてきたけど、
好きな先生も嫌いな先生も授業したくない日はあったんだろうなと情が湧いてしまう。

ひょっとしたら金八先生も、
今日は授業とかだるいな〜、数学とかしんどいな〜〜とか思った結果、「人という字は〜」とか言いだしたのかもしれない。道徳はラクだから。知らんけど。

ブラックジャックもマジで手術したくない日だったから法外な金額をふっかけたのかもしれない。初期のブラックジャックは「いや払えるんかい!!」とドン引きしていたことだろう。結果彼は命はお金じゃないことを知るのだ。

冨樫義博は確実に働きたくないだろう。めっちゃ休載してるし。彼は逆に休載活動の間に連載しているといっても過言ではない。おかげで、連載が再開される度に都会で油田を掘り当てたかのような驚きと喜びが生まれている。

ひょっとしたら俺の勤労意欲の無さもなんかの奇跡を起こせるのかもしれない。
よし、今日も明日も、働きたくないぞー。